祭神は埴安命で境内には多くの常夜燈があり、 宝歴十二年(1762)が記されている。
名横綱双葉山が18歳の頃、不治の病ともいわれる難病にかかった時、妙正尼は妙音の滝にこもり治療祈願を行った。回復した双葉山は前人未踏の69連勝を達成。昭和16年妙正尼の死に対して、恩に報いるためこの墓を建てた。
132.2mの山からは福岡市が一望できる。3月4日桜・つつじ。1月3日金生神祭り。2月3日節分護摩たき。弘法大師お手彫りとされる梵字の巨岩あり。
祭神は雨を司る神様で八雲神社または八雷神社ともいう。8月中旬、八龍神社盆綱引き。唄を合図に一斉に引く。
高さ2m程の石灯篭。亨和3癸(1803年)と記されている。昔は太宰府の鬼すべりや四季折々の祭りの日には早良や那珂川町などから多くの参拝者が通った、さいふ道で灯篭には明かりが灯され茶屋も出て賑わった。
滝が流れる岩肌には観世音菩薩がくり抜かれている。名横綱・双葉山修行の地でもある。双葉山は妙音の滝で21日間の精神修行を行った。
神功皇后が名付けられた神社で中世には神官が30人を超えるほどいた。博多の住吉神社も分社である。7月31日輪越し祭 10月第3日曜おくんち やぶさめ
山の神様が祭ってある妙見神社のすぐ前に滝がある。神社は左右の石段があり,左は神社、右が拝殿の珍しい造り。
安徳台は、弥生時代にこの一帯を治めていた首長が住んでいた。その後、 迹驚岡(とどろきのおか)といわれ,のちに御所ケ原とも呼ばれていた。平安期、原田種直の居館があり寿永年間、源氏に追われた平家一門がおん年6歳の安徳天皇を奉じてこの地に仮の御所が構えられた。現在も発掘調査がなされている。
山田の一の井手を取水口にし、今光までの田をうるおす人口の水路。日本書紀に『大岩が立ちふさがり溝の完成を妨げたので天に祈ったところ雷が岩を砕いて完成した』とあり、このことが名前の由来となっている。
別名稲荷大明神でもあるこの参道は20余基の朱色の鳥居と140段余りの石段が並ぶ。例祭は2月最初の初午の日 春は桜も良い。
標高195mの山頂に築かれた山城で、延久5年(1073年)完成。中世の太宰府政庁や博多を警備する軍事的重要拠点であった。旧那珂郡随一の歴史を誇る山城である。山頂からの福岡市街、さらに立花山の遠望はすばらしい。
名横綱双葉山が18歳の頃、不治の病ともいわれる難病にかかった時、妙正尼は妙音の滝にこもり治療祈願を行った。回復した双葉山は前人未踏の69連勝を達成。昭和16年妙正尼の死に対して、恩に報いるためこの墓を建てた。
江戸時代の三大農学者の一人。安定収穫の出来るハゼの栽培を行う為先進地を訪れ、ハゼの実をにぎり飯の中に入れ持ち帰ったと伝えられている。その後ハゼは黒田藩の専売品となり藩の財政や農民の生活向上に尽力した。墓にはハゼの木とおにぎり型の石が置かれている。
7月14日岩戸神楽が奉納される。舞は全部で18番。中でも「荒神」は圧巻である。(県無形民族文化財)7月31日輪越し 11月15日火たきこもり なまずは当地区の守り神である。
大山住神社境内にある毘沙門堂で大祭は冬至の日に南瓜善哉を参拝者に振舞ってくれる。
幕末勤皇派の志士、加藤司書公が奉納し祭ったと伝えられる女人を型どった地蔵尊。慶応元年(1865)家老職を解かれ切腹を命じられた司書公は、この知行所を村人に分け与えケサ地蔵を末永く祭るように頼んだと伝えられている。
集落の西 小高い所にある神社で常夜燈には天保三壬辰年(1832年)とある。境内裏には天の岩戸 大日如来の磨崖仏がある。岩戸村の語源でもある。
国道を左に入ってゆくと周りに観世音菩薩や不動明王などの石仏を祭った滝がある大きなしゃくなげが自生している。大祭は7月17日。
博多萬行寺の寺領であった埋金に西萬行寺の末寺として開基したのが始まり。春は寺のしだれ桜が美しい姿を見せる。
国道から旧肥前筑街道亀ノ尾超え入口の橋がある。その手前の公園が中の島公園である。はたるが有名で夏は水遊びが楽しめる。地元野菜など販売。
神崎九年庵奥の仁比山日吉宮を勧請したのが始まりで猿が神様の使い。境内には黄玉木(おがたまのき)、楊梅(やまもも)は県天然記念物。
国道を山手に登っていくと筑紫耶馬渓に入る。その中間地点に滝がある。大きくはないが季節ごとに変わった姿が見られる。
鮎返しの滝を200mほど登ると大岩が現れる。それが不動岩で、不動明王が祭ってある。この一帯を釣垂峡という。ここは、もともと筑紫耶馬渓が賑わっている頃の旅館後で、今はもみじ公園となっている。
南畑ダムの中間地点より右側に滝がある.水量も多く、
あまり日もあたらない所では、夏は涼しげな滝。
平成21年4月リニューアルオープン予定。
背降山系に蛤岳がある。そこに蛤水道と呼ばれる水路があり,これを巡り肥前、筑前で争いがあった。その時、別所のお、お万という女性が犠牲になった滝をお万の滝、その時つれていった赤子が犠牲もなった滝を 稚児落しの滝という。
『あいさわりもうしまじきこと ちくぜんのくにに五ヶ山村』と刻まれている.標石が4基ある.